箸に麺を巻き付けて食べるのはなぜダメ?
韓国のモッパン(食べる動画)を見るのが好き。
お腹がすいているときは特に見るのが止められない。
味の濃そうな色合いのつややかな麺の束が吸い込まれて行く様、やわらかな咀嚼音、箸休めのキムチやたくあんの涼しさ…。
お腹がすいているので飢えが潤うことはなく、おいしそうな麺を食べる人を見続ける。空腹がますます強くなる。ただその渇きに身を任せモッパンを見続ける…。私はいったい何がしたいのか…。
箸に麺を巻きつけて食べる風潮
そして本題。こういった韓国のモッパンを見ていると、ある特徴的な箸使いを目にする。
麺を箸にぐるぐると巻き付けて、ひとまとめにして一気に口へ運ぶのだ。
2本ある箸を一本にまとめて使い、箸自体を麺の中で円を描くように回すことで巻きつけている。
初めて見たときは衝撃を受けたので、いったいどんな反応を受けている行為なのだろうと思ってコメント欄に飛んで行った。
…が、韓国では割とメジャーな食べ方らしく、否定的なコメントが多く寄せられているわけではない。結構いろんな配信者の動画で見られる食べ方だ。
正式なマナーに則った食べ方ではないかもしれないが、韓国の人にとっては広く知られている食べ方のようだ。最初は違和感があった私もモッパンを日常的にみているうちに気にならなくなった。
↑チャパグリに合うとされているネギキムチが日本に売っていないため、ネギキムチを作ってしまう私
たしかにある程度の合理性はある。ジャージャー麺やプルダック炒め麺などはとろみのあるソースがたっぷりついているため、すすると麺の先端が揺れてソースが飛び散る。
しかし箸に巻いて一気に頬張ってしまえば飛び散らない。
韓国の麺料理はTシャツに付着したが最後永遠にとれなさそうな汁気ばかりなので、この箸使いが定着しているのは頷ける…
ただこれを日本でやってもいいのか。
誰も見ていないのであれば、こっそり一人でやる分には問題ないだろう。
しかし誰かと食事を共にする場合、公共の場で食べる場合は、周囲の人へ少なからず違和感与えるだろう…。
↑中国春雨、ブンモジャという謎の物体を通販で買い求めてカルボプルダックとともに食してしまう私
私は考えてみた。
違和感はあるけど、何がダメなんだ?見慣れない行為だからおかしく見えるだけではないのか?
具体的に何がダメなのかと聞かれるとわからない。突き詰めて考えてみた。
言語化するならこれじゃね?
ふと思い出したのはあの有名グルメ漫画「美味しんぼ」。
美食家である海原雄山が息子である主人公の山岡士郎に対して箸の作法を説くお話がある。
お茶漬けを食べる場面で、海原雄山がブチ切れる。理由はお茶漬けを食べた山岡士郎の箸の先が4センチも濡れていたから。対して海原雄山サイドの人間は箸先を1センチしか濡らさずにお茶漬けを食べていた。
海原雄山曰く、「どんなに美しい食器と箸で食べても、食べ方が美しくなかったらなにもかもぶち壊しだ」とのこと。
1センチしか濡らしちゃいけないというのはさすがに無理すぎる話だが、一定の説得力はある。
食器をきれいに使うに越したことはない。食器がめちゃめちゃに汚れた状態で食事をするのは自分にとっても一緒に食事をする人にとっても不快なことだろう。
箸を持つ手から汚れがすこしでも遠くにあるほうがいいし、汚れている面積は少ないほうがいいというところで直観と食い違わない。
↑パスタソースを使いロゼ味のラッポッキのようなものを作成しレッドブルで流し込みながら食してしまう私
そう考えると、箸に麺を巻く行為は箸の汚れを広げることになる。
箸でつまんだ分はすべて巻ききるので、箸を1センチだけ汚して食べるのはどうやっても不可能。
むしろモッパンはひとくちを大きく取り豪快に食べる風潮まである。
沢山の麺をグワーッと箸で巻き取って大きな一口で豪快に食べる…「箸を必要以上に汚すべきではない」という観点からすると、ちょっとマナーが悪く見えて違和感がある。
あえて言語化するとすればこういうことなのではないだろうか。
食器をきれいに保ちながら食べる方法があるのに、必要以上に汚しながら食べるのは行儀が悪い。
箸に麺を巻くという行為。
友達が目の前でよくやるのでやめさせたい。子供がやるので直したい。という人は結構いそう。
実際に目にして違和感を覚え指摘するとき。「何がダメなの?」と牙をむかれたら
「海原雄山に怒られるからだよ!」
と言ってやろう。